先日、父方の田舎に行く中で、群馬県の道の駅「こもち」って所に寄りました。
現在もですが、その時も野菜の値段がやたら高くて、しかし父からは「この道の駅、野菜が(物によっては)むちゃくちゃ安いんだよ!」と聞いていたのです。
実際行ってみると確かに。
泥(土)付きの極太長ネギが5本6本入って198円とか、
まるまると実った白菜が100円とか。
野菜の値段が通常プライスであっても、関東のそれより安かったり、ものが良かったりします。
道の駅全てで言える事かどうかは分かりませんが、地産の野菜などを卸しを通さず直販している事もあり、値段が安いのかな?って事なのかなと。
マァ安くて美味かったら利用しない手はありません(笑)。
そんなこんなで店内を回っていたら、ネットにこれでもかと詰め込まれたニンニク。
子持村「こもちの子宝ニンニク」という物が売られていました。
パっと見てもまるまると実って大きなニンニク。
ニンニクと聞くと国産でも外国産などでも、複数の実を一つの大きな皮で取り囲むような実の付き方をしているものが多いですが、この子持村ニンニクは1つの実で1つのニンニク。中で割れるようなことはありません。
臭いもそれほどキツくなく、そして肉厚もあり、実際とても美味しいです。
遠くなかったらリピーターしたいですが、まぁでも気が付いた時に買えると良いですかね(笑)。
乳幼児死亡率はどんどん下がっている
それでふと、現代社会においての「子宝」ってワード、もう死語みたいな感じじゃないかな?と思いました。
乳幼児の死亡率はここ100年くらいの間で一気に下がり生存率が上昇。
逆に超高齢社会と言われる所以の1つでもある通り、後期高齢者の人口は年々増加。寿命もどんどん上がっています。
実際にデータを調べてみても、流行性の病などがあったとしてもワクチンが流通するのが早ければ早いほど、医療体制が充実していればしているほど、死亡率は低下している状態。
また国別の統計調査で見てみると、世界193ヶ国中で日本は189位(※順位は低ければ低いほど死亡率が低い事を顕している)。米国などは149位で、日本が医療分野並びに国民健康保険制度において充実している事を如実に表すデータとして見る事が出来ます。
そういう視点から見て、子宝ってワードは現代人に刺さっているのかな?と少し疑問に思いました。
その人の生きる時代にあったキィワードじゃないと心に刺さらない
また別の機会でブログ書く予定でありますが、その人間ひとりひとりは、そのひとりひとりの時間軸を時代の中で生きています。
例えば全ての人が寿命で亡くなると仮定すると、大正生まれだと昭和末期や平成初期頃に亡くなるでしょうし、2000年頃に生まれた方は(最近の先端医療で人間の寿命も延びてきている事もあり)22世紀になるならない頃に亡くなるだろうと考えられます。
これを「時代」という観点で言うと、大正時代や昭和初期の今からおよそ100年くらい前では上記したように乳幼児死亡率は我が国でも高く、故に沢山子どもがいても亡くなってしまうこともあるので、子宝と言うのは(子孫や家の繁栄という観点から見ても)非常に重要だったと思います。
そんな乳幼児期を過ごしていれば、戦争で亡くなる前に病気や栄養失調などで亡くなる同世代の人間を沢山見て過ごしている事でしょう。
死が身近にあるからこそ「これを食べれば子だくさんに恵まれる」みたいな。
いわゆる願掛けみたいな気持ちもあって、神社のお守り同様に重宝されたと思います。
しかし、IKAが生れた昭和後期以降。現代平成の世に生まれた人間にとって、子宝と聞いてもピンときません。
もちろん家を継ぐものとか、離婚の多い現代において子を作る事で「本当の」家族になるみたいな。そんな気持ちの変化は多分にあると思います。
ですが病や栄養失調で亡くなることはもはや稀。
自分もですが未婚者が多くなり、自分の生活も手一杯の状況で結婚はおろか、子供を作る事なんて、生活が成り立たないという別の問題を抱えています。
この問題についての言及はここでは避けますが、現代を生きる50~60歳代より下の人間は「子宝」というワードは(心に)刺さらない。
それよりも「肉厚ジューシーでもちもちのニンニク」とか。
「ニンニクの臭い成分が少ないのに栄養満点」とか。
そんな内容の方が、刺さるような気がします。
決して「子宝ニンニク」をdisってる訳ではなく、「子宝」というワードについての疑問を書いてみました。
上に書いたように、こもちの子宝ニンニク自体は非常に美味しいので、もっと多くの方が食べる機会に恵まれると良いかなと思ってます。
ではまた~(*‘∀‘)ノシ
コメントを残す